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札幌高等裁判所 昭和48年(う)258号 判決

被告人 蛯子博

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮七月に処する。

原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、札幌高等検察庁検察官徳永功提出の控訴趣意書および同補充書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、当裁判所はこれに対しつぎのように判断する。

控訴趣意書、同補充書記載各第一の控訴趣意(事実誤認、法令適用の誤りの主張)について。

論旨は、要するに、原判決は業務上過失致死罪の公訴事実について、被告人の過失と被害者の死亡との間に因果関係のあることを否定して、被告人を業務上過失傷害罪に問擬したが、これは因果関係に関する事実を誤認しかつ刑法二一一条前段の解釈適用を誤つた結果であり、原判決は破棄を免れない、というのである。

そこで、一件記録を精査し、当審事実調の結果をも加えて審案するに、関係証拠によれば、被告人は昭和四七年七月二六日午後八時一〇分頃原判示のとおりその過失によつて被害者佐藤友蔵に自車を衝突させたことが明らかであるほか、被害者が死亡するにいたる経緯はおおむね次のとおりである。すなわち、

(1)  本件衝突現場は交差点手前の横断歩道であり、右佐藤は被告人車運転者席ドア付近に衝突し、交差点中心方向に六メートル以上跳ね飛ばされてアスファルト舗装の路上に転倒し、そのまま動かなくなり、まもなく救急車によつて市立函館病院に運ばれたこと、

(2)  同病院で診察したところ、同人には、胸部打撲、左第三ないし第五肋骨骨折、左鎖骨骨折、左大腿骨頸部骨折、左股関節中心性脱臼等の創傷が認められ、同人を入院させたうえ、安静にし、点滴投与酸素投与などの処置がとられたこと、

(3)  翌日(昭和四七年七月二七日)、同人の意識は明瞭であつたが、顕著な顔面打撲が現われていたことから、同病院では同人を脳外科の所管とし、その後経過観察中同人の意識が混濁して来たため、脳挫傷の疑いで検査をおこなつたけれども、脳動脈硬化以外に格別の異常所見を発見できず、意識障害、見当識障害、健忘等の症状を残したまま、同科で治療を継続したこと、

(4)  同人は、同月三〇日にいたつて下血を始め、これが多発性外傷および脳疾患にもとづくストレス胃潰瘍によるものと診断され、止血剤の投与、輸血等の対症療法をほどこされたが、下血が止まらず、かえつて激しくなり、全身状態が極度に悪化し、手術をしなければ当然死亡するという状態となつたこと、

(5)  同年九月三日、一般外科に転科されて、胃の全部摘出手術を受けたが、四日後全身衰弱のため急性肺炎を併発し、これによつて同月一〇日ついに死亡するにいたつたこと、

などが肯認できる。

以上の事実関係によれば、被告人は原判示の業務上の過失により、走行中の自車を直接被害者の身体に衝突させ同人に重篤を傷害を与えたところ、同人は右の傷害に起因する数次の因果の連鎖を経て死亡するに至つたものであるが、右被害者が受傷してから死亡するまでの間において、被害者じしんまたは第三者(とくに診断、治療にあたつた医師)の故意ないし過失による行為等、右の因果の連鎖を中断しまたは更新させるような要因が介入したとの事実は何らこれをうかがうことができず、被告人の過失がなかつたならば被害者の死の結果を生じなかつたであろうという関係が認められる。のみならず、被害者が右の程度の衝突事故に基く傷害から直接に、または何らかの余病を併発して死亡するに至ることは社会経験上決して稀有のことではなく、一般人において通常予見しうるところといわなければならない。それゆえ、いわゆる条件説によるときはもとよりのこと、原判決のように相当因果関係説の立場からみても、被告人の本件過失と被害者の死亡との間には刑法上の因果関係があると解すべきである。

原判決は、本件因果関係の存否はいわゆる相当因果関係説の折衷説によつて判定すべきであるとの見地に立ち、被害者佐藤の胃潰瘍に罹患したことは一般通常人の予見不可能な事態であるとともに、被告人にそれについての特別の知見等もなかつたとして、被告人の所為と死亡との間には因果関係が認められない旨判示している。

よつてさらに、被害者の胃潰瘍の点についてみると、横内正典、斎藤輝夫の検察官に対する各供述調書、右横内に対する原審証人尋問調書等によれば、被害者のような経過による胃潰瘍の併発は、負傷程度の重大性や被害者の高年齢を考慮してみても、必然の事態とまではいえず、頻度として一割強くらいに見積ることができる程度のものであり、被害者が胃潰瘍になるについては、ストレスを起し易く、胃潰瘍にかかつたことのある被害者の体質がこれにあずかつていることも認められる。しかし、被害者が胃潰瘍に罹患したことが、右のように比較的頻度の少い、また被害者の体質にも起因する現象であることから、医学的知識に乏しい一般通常人ないし被告人にとつては、胃潰瘍罹患の点までは予想しえないものであつたとしても、このことは、右死亡について刑法上の因果関係を否定する理由とはなりえない。けだし、相当因果関係説によつても、行為と死亡との間に因果関係ありとするには、右両者の間に社会経験上通常予想しうる程度の原因結果の関係があれば足り、死に至るまでの個々の具体的経過事実についてまで逐一認識予見しうることは必要がないからである。これと異る見解に出た原判決の判断は失当といわざるをえない。

してみれば、原判決は業務上過失致死罪の因果関係の点について事実を誤認しかつ法令の解釈適用を誤つたものというべきであり、その違法が判決に影響を及ばすこともまた明らかである。論旨は理由がある。

よつて、その余の論旨に対する判断をまつまでもなく、本件控訴は理由があるので、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にしたがい、当裁判所においてただちにつぎのように自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるところ、昭和四七年七月二六日午後八時一〇分頃普通乗用自動車を運転し、函館市上新川町一四番三号先道路を中の橋方面から新川町方向へ時速約四五キロメートルで進行中、同所先の横断歩道にさしかかつたが、このような場合自動車運転者としては右横断歩道上を横断しまたは横断しようとしている歩行者のいないことを確認してから進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然前方注視不十分のまま運転を継続した過失により、折りから右横断歩道上を右方から左方へ歩行していた佐藤友蔵(当時六九歳)を至近距離に発見し、ただちに回避の措置をとつたが及ばず、自車右側部を同人に衝突させ、よつて、同人に対し胸部打撲、左第三ないし第五肋骨骨折、左鎖骨骨折、左大腿骨頸部骨折、左股関節中心性脱臼、顔面打撲等の傷害を負わせたうえ、同年九月一〇日午後五時一〇分頃同市弥生町二番三三号市立函館病院において、同人を右傷害に基づく胃潰瘍悪化による手術後の急性肺炎により死亡させたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、量刑につき案ずるに、本件事故の経緯、態様、過失の内容、結果、罪質等に徴すれば、示談の成立、示談金の支払、重刑をのぞまない遺族の被害感情、被告人の経歴、境遇、年齢等を考慮にいれてみても、被告人に対しては禁錮刑の実刑をもつてのぞむのを相当とすべく、所定刑中禁錮刑を選択したうえ、その刑期範囲内で被告人を禁錮七月に処し、原審および当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとする。

以上の理由によつて、主文のとおり判決する。

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